初代様は、1952年(昭和27年)1月から、本格的な宗教家としての活動を始めました。
それまで、三つの会社を経営していましたが、それらを人に譲り、1年間だけ実業界から離れ、神ごとに励むつもりでいました。
昼間は、信仰者たちの相談、夜は信仰者の家での祭りごとと、初代様は三部、望月とともに朝から晩まで休む間もありませんでした。これだけでも心身が疲れますのに、毎晩、真夜中になると神様から呼ばれ、初代様は着替えをして御神前に座り、神様から御神示を受けました。
こうした神様の厳しい修行をうけた初代様は、いつしか、宗教改革のために最大の努力と精進をする心になっていました。
元公爵の一条実孝や元子爵の三室戸敬光が信者になったのも、この頃のことです。
最初は1年だけとの約束でしたが、1年経った1953年(昭和28年)には、実業界に戻る機運はついになく、逆に東京都庁や文部省の役人たちが訪ねて来て、
「我々が支持するから、今後宗教を続け、戦後の悩み多き人を救ってやってください」
と説得され、しかたなくあと1年、あと1年といううちに、時が経っていきました。
それまで、三つの会社を経営していましたが、それらを人に譲り、1年間だけ実業界から離れ、神ごとに励むつもりでいました。
昼間は、信仰者たちの相談、夜は信仰者の家での祭りごとと、初代様は三部、望月とともに朝から晩まで休む間もありませんでした。これだけでも心身が疲れますのに、毎晩、真夜中になると神様から呼ばれ、初代様は着替えをして御神前に座り、神様から御神示を受けました。
こうした神様の厳しい修行をうけた初代様は、いつしか、宗教改革のために最大の努力と精進をする心になっていました。
元公爵の一条実孝や元子爵の三室戸敬光が信者になったのも、この頃のことです。
最初は1年だけとの約束でしたが、1年経った1953年(昭和28年)には、実業界に戻る機運はついになく、逆に東京都庁や文部省の役人たちが訪ねて来て、
「我々が支持するから、今後宗教を続け、戦後の悩み多き人を救ってやってください」
と説得され、しかたなくあと1年、あと1年といううちに、時が経っていきました。