初代様が信者仲間と祭りごとをはじめてちょうど1年経った、1936年(昭和11年)の2月11日のことです。亀田屋は、いとこの松村光庸(こうよう)を祭りごとに連れて来ました。松村は亀田屋の番頭でもありました。
さて、その日の夜中もお祝詞を上げていると、はじめて来た松村がとつぜん神がかりになり、とっぴなことを言い出しました。
「近いうちに戦争が始まるぞよ。始まれば敵の飛行機が飛んで来て、東京は焦土と化す。汝等は大震災の時、衣食住に困った覚えもあろう。晴一、汝は今のうちに避難先の家を建てて用意せよ」
すると、菊地卯之助が、
「どこへ造ったらよいか聞いた方がいいですよ」
と言いますので、初代様はすぐ、
「どこへ造るんですか?」
と尋ねますと、松村は、
「汝の郷里へ造れ」
と答えたとたんに、われに帰りました。
しかし、その当時の日本は、誰も戦争など気にもしませんでしたので、そのままにしておいたところ、翌月の3月に、松村の様子がおかしくなってしまったのです。医者に診せても、薬でも効果がなく、滝に打たれたり、行者に治してもらおうと思っても、いっこうに良くなりませんでした。
さて、その日の夜中もお祝詞を上げていると、はじめて来た松村がとつぜん神がかりになり、とっぴなことを言い出しました。
「近いうちに戦争が始まるぞよ。始まれば敵の飛行機が飛んで来て、東京は焦土と化す。汝等は大震災の時、衣食住に困った覚えもあろう。晴一、汝は今のうちに避難先の家を建てて用意せよ」
すると、菊地卯之助が、
「どこへ造ったらよいか聞いた方がいいですよ」
と言いますので、初代様はすぐ、
「どこへ造るんですか?」
と尋ねますと、松村は、
「汝の郷里へ造れ」
と答えたとたんに、われに帰りました。
しかし、その当時の日本は、誰も戦争など気にもしませんでしたので、そのままにしておいたところ、翌月の3月に、松村の様子がおかしくなってしまったのです。医者に診せても、薬でも効果がなく、滝に打たれたり、行者に治してもらおうと思っても、いっこうに良くなりませんでした。