1909年(明治42年)の2月、13歳の初代様は東京日本橋の雑穀商、斎藤次郎兵衛(じろべえ)商店に小僧として奉公に出されることになりました。
出発の時には、母親は涙を浮かべて、こまごまと奉公生活の注意をしてくれました。初代様は、利根川を蒸気船でくだり、一晩かけて、東京の両国橋に着きました。
斎藤商店でのはじめての仕事は、朝晩、ご飯を入れたおひつをかついで、深川の佐賀町にある斎藤商店の売り場へ届けることでした。
この佐賀町は、米や雑穀、肥料の取り引きで日本一有名な集散地でしたが、ガラの悪いことでも有名で、十代で酒、ばくち、女におぼれ、身をくずす者がたくさんいました。初代様は、こんな佐賀町のようすを知るようになると故郷の大越に帰りたいと思い、手紙を書いて何度も頼みましたが、兄の平吉からの返事は、いつも「辛抱せよ」というだけでした。
出発の時には、母親は涙を浮かべて、こまごまと奉公生活の注意をしてくれました。初代様は、利根川を蒸気船でくだり、一晩かけて、東京の両国橋に着きました。
斎藤商店でのはじめての仕事は、朝晩、ご飯を入れたおひつをかついで、深川の佐賀町にある斎藤商店の売り場へ届けることでした。
この佐賀町は、米や雑穀、肥料の取り引きで日本一有名な集散地でしたが、ガラの悪いことでも有名で、十代で酒、ばくち、女におぼれ、身をくずす者がたくさんいました。初代様は、こんな佐賀町のようすを知るようになると故郷の大越に帰りたいと思い、手紙を書いて何度も頼みましたが、兄の平吉からの返事は、いつも「辛抱せよ」というだけでした。
- 初代様の誕生
- 神様のご帰天
- 40年続いた、初代様の母みよの日参
- 初代様の幼少時代
- 初代様、13歳で東京へ小僧に
- 五銭のおつり