1935年(昭和10年)の1月のある夜、初代様は生活苦のあまり、死んでしまおうと永代橋の真ん中のらんかんに立ちました。しかし、自分が死んだ後、妻や子どもがどうして暮らすことが出来るだろうか、と考えると死にきれず、どこをどうやって帰宅したか覚えがないような状態で家に帰りました。
その日の夜中2時、初代様は、布団の上に座り、
「神様! 私は永代橋から投身しようと思いましたが、妻や子供がふびんになり、とても死にきれませんでした。しかし、もう私にはこれ以上辛抱も、我慢もできません。向こう一週間のうちに、私どもの生きて行かれる道をお授けください。そうでなければ、私はこれ以上とても辛抱できませんから、死にます。私の亡き後は、あなたが妻や子供をお引き受けください。生かそうと、殺そうと、私は霊界へ行ってまでも苦情は申しませんから……」
とうったえました。
その日の夜中2時、初代様は、布団の上に座り、
「神様! 私は永代橋から投身しようと思いましたが、妻や子供がふびんになり、とても死にきれませんでした。しかし、もう私にはこれ以上辛抱も、我慢もできません。向こう一週間のうちに、私どもの生きて行かれる道をお授けください。そうでなければ、私はこれ以上とても辛抱できませんから、死にます。私の亡き後は、あなたが妻や子供をお引き受けください。生かそうと、殺そうと、私は霊界へ行ってまでも苦情は申しませんから……」
とうったえました。
- 17歳から得意先回り
- 軍隊の空気に合わず、わずか7ヶ月で兵役免除
- 「成金党」の旗頭
- 大震災で元も子もなくなる
- 苦しさのあまり自殺を神様にうったえる