初代様が41歳の1937年(昭和12年)のことです。その当時、深川佐賀町の初代様自宅の二階で毎月11日の夜を例祭日と定め、七、八人の信仰仲間が集まって、信仰や修行の話に花を咲かせていました。
その中で、初代様は、信仰をするからには修行して精神を養わなければならないと考え、栃木県の古峰ヶ原に山ごもりの修行に出かけました。一人でリュックサックを背負って、山の中の小屋へたどり着きましたが、やがて夕方になると、大男が小屋のそばへやって来ました。
大男は初代様にいろいろ話しかけました。最初は警戒していた初代様も、大男と話すうちに、この人は行者だと思いましたので、
「あなたの行場はどこですか?」
と尋ねますと、
「わしの修行の道場は東京だ」
と答えます。そこで、
「東京のあなたの家ですか、それともお寺か何かですか?」
と聞きますと、大男は、
「わしの家でもなければ、お寺や教会所でもない。修行というものは深山に入って行をすることもあれば、また里の行と言って、町の人家の中にも行場はある。それには東京の各自の家が最も良い修行の道場である。また座禅を組むばかりが修行ではない。店で商業を営んで儲けたり、損をしたりするのも修行の道場。多くの人と話をするのも修行の道場。勉強する図書館も修行の道場。見る物・聞く物・善い人の行い・悪い人の行いを見るにつけ、自分の手本にもなれば、師匠にもなり、また自己が反省する資料にもなる。
人はどのような所でも、心掛けひとつですべてが修行の道場であって、道場でないものはひとつもない。このような心掛けのない者は、どんな良い話でも、お説教でも、教訓になる芝居や映画を見ても何にもならず、皆無駄になってしまうものである。
このような心掛けが人一倍なかったなら、世の中の一人前の人や、偉い人になれるものではない。多くの人に認められる人となるには、常日頃、心を修めて行く修行というものが、いかに大切であるかということを、忘れてはならないのだ」
といろいろな話を聞かせてくれました。
その中で、初代様は、信仰をするからには修行して精神を養わなければならないと考え、栃木県の古峰ヶ原に山ごもりの修行に出かけました。一人でリュックサックを背負って、山の中の小屋へたどり着きましたが、やがて夕方になると、大男が小屋のそばへやって来ました。
大男は初代様にいろいろ話しかけました。最初は警戒していた初代様も、大男と話すうちに、この人は行者だと思いましたので、
「あなたの行場はどこですか?」
と尋ねますと、
「わしの修行の道場は東京だ」
と答えます。そこで、
「東京のあなたの家ですか、それともお寺か何かですか?」
と聞きますと、大男は、
「わしの家でもなければ、お寺や教会所でもない。修行というものは深山に入って行をすることもあれば、また里の行と言って、町の人家の中にも行場はある。それには東京の各自の家が最も良い修行の道場である。また座禅を組むばかりが修行ではない。店で商業を営んで儲けたり、損をしたりするのも修行の道場。多くの人と話をするのも修行の道場。勉強する図書館も修行の道場。見る物・聞く物・善い人の行い・悪い人の行いを見るにつけ、自分の手本にもなれば、師匠にもなり、また自己が反省する資料にもなる。
人はどのような所でも、心掛けひとつですべてが修行の道場であって、道場でないものはひとつもない。このような心掛けのない者は、どんな良い話でも、お説教でも、教訓になる芝居や映画を見ても何にもならず、皆無駄になってしまうものである。
このような心掛けが人一倍なかったなら、世の中の一人前の人や、偉い人になれるものではない。多くの人に認められる人となるには、常日頃、心を修めて行く修行というものが、いかに大切であるかということを、忘れてはならないのだ」
といろいろな話を聞かせてくれました。