ある日、平吉はりっぱな硯(すずり)と大きな墨を家に持ち帰りました。
「神様が文字を教えてくださるから、これから書くんだ」
と平吉は話しました。(この硯は、今も本部聖堂に保存されています)
それからの平吉は、神様と一緒に暮らしている別むねの納屋にはいって、神様から字を教わりました。
平吉がはじめて文字を書いたとき、野良仕事をしている両親たちのところへ持ってきて見せました。文字は書きたてで、まだぬれていました。平吉が書いた文字は実にみごとなもので、おどろいた両親は、近所の人たちにそのことを話しました。近所の人たちも平吉が書いた文字を見ましたが、「これは子どもの書いた字ではない」と言ったそうです。
神様が文字を書かれるということが評判になり、その後、いろいろな人が字を書いてもらいにやってきました。その中の一つに、
『古誰論芳槿一朝新 百年同謝無不庚待人』
という漢詩があります。(この漢詩は、掛け軸にして今も本部聖堂に保存され、大きな行事の時には公開されています)
この漢詩の意味は、長いあいだ誰にも分かりませんでした。しかし、のちに漢学の大家に調べてもらったところ、ようやくその意味が分かりました。
これは、「いにしえ、たれかろんず、ほうきん、いっちょうのしん、ひゃくねんどうしゃ、こうとして、ひとをまて」と読み、その意味は、
『汝(平吉)と別れねばならないが、しかし、年月がたつうちに、我が使命をくだす者を現す故、時節を待っておられよ』という意味だそうです。
神様がおっしゃる『使命をくだす者』とは、この後にお生まれになる初代様のことをさしていたのでした。このことが、のちに明らかになってきます。
「神様が文字を教えてくださるから、これから書くんだ」
と平吉は話しました。(この硯は、今も本部聖堂に保存されています)
それからの平吉は、神様と一緒に暮らしている別むねの納屋にはいって、神様から字を教わりました。
平吉がはじめて文字を書いたとき、野良仕事をしている両親たちのところへ持ってきて見せました。文字は書きたてで、まだぬれていました。平吉が書いた文字は実にみごとなもので、おどろいた両親は、近所の人たちにそのことを話しました。近所の人たちも平吉が書いた文字を見ましたが、「これは子どもの書いた字ではない」と言ったそうです。
神様が文字を書かれるということが評判になり、その後、いろいろな人が字を書いてもらいにやってきました。その中の一つに、
『古誰論芳槿一朝新 百年同謝無不庚待人』
という漢詩があります。(この漢詩は、掛け軸にして今も本部聖堂に保存され、大きな行事の時には公開されています)
この漢詩の意味は、長いあいだ誰にも分かりませんでした。しかし、のちに漢学の大家に調べてもらったところ、ようやくその意味が分かりました。
これは、「いにしえ、たれかろんず、ほうきん、いっちょうのしん、ひゃくねんどうしゃ、こうとして、ひとをまて」と読み、その意味は、
『汝(平吉)と別れねばならないが、しかし、年月がたつうちに、我が使命をくだす者を現す故、時節を待っておられよ』という意味だそうです。
神様がおっしゃる『使命をくだす者』とは、この後にお生まれになる初代様のことをさしていたのでした。このことが、のちに明らかになってきます。