こうして初代様たちが雑穀界の花形として活躍しているうちに、1937年(昭和12年)7月に始まった日中戦争は、どんどん激しさを増していき、日本国内の物資がだんだんと不足してきました。
1939年(昭和14年)になると、品物を配給制にする統制令がしかれるのでは、といううわさがたちました。今まで統制令などしかれたことがありませんので、初代様たちは神様に、この先どうすれば良いかについてお伺いをたてました。そうすると、
「統制令がしかれてから、何がいちばん喜ばれる土産となるかは、菓子や煎餅ではないぞよ。米一升がいちばん喜ばれる土産物となるぞよ。本年は汝らの生活に必要な米を買われよ。その米は売ることまかりならん』
という御神示が出されました。そこで早速、初代様は知り合いの米屋に頼んで、米80俵ともち米80俵を買い、近所の倉庫へ入れました。
さて、その年(1939年)の9月にいよいよ政府は価格等統制令を出しました。統制が厳しくなってくると、御神示の通り、皆が米に不自由するようになりました。そうなると、初代様が倉庫に入れた米が評判となり、とうとう警察署から呼び出され、米のことについて調べを受けました。しかし、この米は統制令がしかれる前に契約して運んだお米であることが分かり、警察は「売らなければ違反にならない」と言いました。
いよいよ世間で米がなくなってしますと、「物騒なので米を引き取って欲しい」と倉庫から言われましたので、初代様は米を自宅に引き取り、懇意にしている人にも1俵ずつ分けてとても喜ばれました。初代様の自宅には、それから約5年間、1944年(昭和19年)いっぱいまで、米がありました。
1939年(昭和14年)になると、品物を配給制にする統制令がしかれるのでは、といううわさがたちました。今まで統制令などしかれたことがありませんので、初代様たちは神様に、この先どうすれば良いかについてお伺いをたてました。そうすると、
「統制令がしかれてから、何がいちばん喜ばれる土産となるかは、菓子や煎餅ではないぞよ。米一升がいちばん喜ばれる土産物となるぞよ。本年は汝らの生活に必要な米を買われよ。その米は売ることまかりならん』
という御神示が出されました。そこで早速、初代様は知り合いの米屋に頼んで、米80俵ともち米80俵を買い、近所の倉庫へ入れました。
さて、その年(1939年)の9月にいよいよ政府は価格等統制令を出しました。統制が厳しくなってくると、御神示の通り、皆が米に不自由するようになりました。そうなると、初代様が倉庫に入れた米が評判となり、とうとう警察署から呼び出され、米のことについて調べを受けました。しかし、この米は統制令がしかれる前に契約して運んだお米であることが分かり、警察は「売らなければ違反にならない」と言いました。
いよいよ世間で米がなくなってしますと、「物騒なので米を引き取って欲しい」と倉庫から言われましたので、初代様は米を自宅に引き取り、懇意にしている人にも1俵ずつ分けてとても喜ばれました。初代様の自宅には、それから約5年間、1944年(昭和19年)いっぱいまで、米がありました。