初代様の母みよは、初代様が生まれてから実に40年間の長きにわたって、一日もかかさず神様へ丑の刻参りをして、初代様のために一心に祈り続けたのでした。その母の深い愛情に免じても、何か善いことをなさなければ申し訳ないという考えが、初代様の心からずっと離れませんでした。
しかし、いまだかって宗教界にはまるで縁のなかった初代様は、いったい何から始めればよいのか、思案にくれていました。そんなある夜のこと、初代様は御神前で、
「神様! あなたにお仕えするために、今後どんな偉い人が信者となって来るか見当もつきませんが、私はきっと来ると存じます。その時に至って、ただ恐れをなしてまごまごしていましたのでは、恥をかいたり、神様をお汚ししたり、なんら意味をなしません。あなたは何れ大勢の信者をお集めなさるでしょうが、そうなりました時、私には勝手が分かりませんから、一つお願いがございます。
あなたの御心を一般信者に十分伝えることができますように。また誰が聞いても、なるほどと、うなずいて得心がゆくような、宗教を説くことができますように。また誰が読んでも納得ができて、得心するような、信仰上の真理を含んだことが書ける力をお授けください。その点で、私では見込みがございませんでしたなら、いっそ私をお使いにならないでください」
と初代様が神様に申し上げますと、白いひげのお爺さんがニッコリと笑いながら、
『心配無用』
とただそれだけおっしゃいました。初代様は、
「それではどうぞよろしくお願いいたします。私のような者でも、お役に立たせて頂きますなら、身も心も捧げます」
と神様に申し上げ、ここに神様と初代様との間に極めて堅固な契約が結ばれたのです。1951年(昭和26年)1月11日の午前2時のことでした。
初代様は、さっそく三部平三郎に神様との堅い契約の話をしました。そして二日後の1月13日、初代様と三部は二人で菊地卯之助を訪ね、菊地にもこの話をし、三部は菊地の立ち会いの下に、
「私は死んだつもりで家内中に諦めてもらい、東京詰めとなって、島田さんに協力いたします」
と誓ったのです。
しかし、いまだかって宗教界にはまるで縁のなかった初代様は、いったい何から始めればよいのか、思案にくれていました。そんなある夜のこと、初代様は御神前で、
「神様! あなたにお仕えするために、今後どんな偉い人が信者となって来るか見当もつきませんが、私はきっと来ると存じます。その時に至って、ただ恐れをなしてまごまごしていましたのでは、恥をかいたり、神様をお汚ししたり、なんら意味をなしません。あなたは何れ大勢の信者をお集めなさるでしょうが、そうなりました時、私には勝手が分かりませんから、一つお願いがございます。
あなたの御心を一般信者に十分伝えることができますように。また誰が聞いても、なるほどと、うなずいて得心がゆくような、宗教を説くことができますように。また誰が読んでも納得ができて、得心するような、信仰上の真理を含んだことが書ける力をお授けください。その点で、私では見込みがございませんでしたなら、いっそ私をお使いにならないでください」
と初代様が神様に申し上げますと、白いひげのお爺さんがニッコリと笑いながら、
『心配無用』
とただそれだけおっしゃいました。初代様は、
「それではどうぞよろしくお願いいたします。私のような者でも、お役に立たせて頂きますなら、身も心も捧げます」
と神様に申し上げ、ここに神様と初代様との間に極めて堅固な契約が結ばれたのです。1951年(昭和26年)1月11日の午前2時のことでした。
初代様は、さっそく三部平三郎に神様との堅い契約の話をしました。そして二日後の1月13日、初代様と三部は二人で菊地卯之助を訪ね、菊地にもこの話をし、三部は菊地の立ち会いの下に、
「私は死んだつもりで家内中に諦めてもらい、東京詰めとなって、島田さんに協力いたします」
と誓ったのです。