124.家族の祈り、御霊への祈り
<加藤紀子さん 東京都在住>
健康診断で乳がんの疑い
1975年(昭和50年)に両親が入会してから40年になります。若い頃は青年部でお育ていただき、その後も数々の御神助を賜りました。おかげさまで現在は主人と2人の息子に恵まれ、平穏な日々を過ごさせていただいております。
2014年2月、私は健保の健康診断を受けました。子宮がん・乳がんの検査も毎年同じ病院で受けておりましたが、ずっと結果が良好だったこともあって、無料の病院を自分で探して選びました。
ところが、大丈夫だろうと思っていた乳房マンモグラフィーの結果は要再検査となり、超音波画像で詳しく調べることになりました。
画像を見た医師は「少し気になるところがあるので、念のために針を刺して調べてみましょう。とても小さいので何でもなければそれに越したことはないですから」とのことでした。
大丈夫!と思う気持ちと、もしかして......という不安が入り混じっておりました。
支部長のお役目に支えられて
私はこの健康診断の2か月ほど前に、第32期練馬支部長のお話を頂いておりました。思いもよらない重要なお役だけに一人では決められず、夫に相談いたしました。夫は信仰をしておりませんので、快く背中を押してもらうことは無理でも、できるだけ家族に負担の無いように努めることで理解してもらいたい、と思ったからです。
夫には、「神様に御縁を頂いてからずっと数々の御神助を頂いて今日があります。だからこそ、このようなお役でご奉仕させていただく機会をありがたくお受けしたいと思っています。けれども家族が困った顔でいるとしたら、お役をさせてもらう訳にはいかないのです」と正直な気持ちを話しました。すると夫は私の気持ちを汲んでくれ、「もう決めているんでしょう?」と、お役を引き受けることを認めてくれました。
4月1日、神様への感謝、夫や子供たちへの感謝の気持ちで第32期練馬支部長の辞令を賜り、その翌日、晴れやかな気持ちで乳がんの細胞針検査を受けました。
間もなく、支部長となって初めての支部例祭が開催され、その後も、役員との打ち合わせや集いの担当など、支部長として果たさなければならないお役目を努めさせていただきました。乳がんの疑いがあるからといって、個人的な理由で神様からお受けしたお役をおろそかにはできません。
『神の聖旨 17日』
信仰する者は動揺すること勿れ
神は如何なる場合でも汝を護り給う故、何時如何なる大きなことに遭遇しても決して驚いてはならぬ。災難が来ようが、不幸が来ようが、病気になかろうが、死がせまろうが、更に神経をとがらせることなく、最善をつくしてあとは神任せ。身も心もその他一切を挙げて神に任せきる者は、心豊かに力強き生活の営みが進展されて行くのである。
私は、検査の結果を待つ間、不安で動揺しそうになるたびにこの聖旨を繰り返し、どうか誤診のなきようにと心から祈りました。
神様は先の先までお見通し
細胞診の結果が出たのは、11日の例祭日でした。やはり「悪性の疑いあり」とのことで、その日の内に大きな病院を紹介されました。医師のお話では、右乳がんで約8ミリ、乳房温存手術可能とのことで少し安心し、7月9日に手術を予約いたしました。
手術の日までの約1か月は家族皆が私の手術の成功を祈り、さらに家族全員で聖堂に参拝してご祈願をさせていただくこともできました。先生は「家族皆でご祈願することは大変効き目のあることですよ」と言われ、このように家族の愛情を実感できましたのも神様のおかげと、心から感謝申し上げました。
そして手術は無事に成功し、リンパへの転移や周辺組織への進行がほとんどない状態でがんを取り切ることができました。ところが、とても驚いたことがありました。それは、画像検査では一度も1センチを超えたことがなかったがんが、実際は2センチもあり、周りの組織を握りこぶしくらい取ったということでした。
もし最初からこの大きさだと分かっていたら、私は乳房全摘出の不安とともに、死への恐怖で平静を保つことができなかったでしょう。動揺することなかれと言い聞かせながらも、支部長のお役目をしっかり果たせていたかどうか自信がありません。
後から考えますと、私は支部長を拝命させていただいたことで、神様より乳がんの宿命があることを教えていただき、安心のうちに救われたのだと思います。そして神様は私ばかりでなく、兄までも御守護くださいました。
因縁!?副乳がんの兄
約6年前、私の兄・宇田川慎一は、男性では珍しい副乳がんに侵されていることが分かりました。発見されたときにはもう手術ができず、すでに肺に転移しておりました。兄は神様のおふだは頂いていましたが、長年本部聖堂に足を運ぶこともなく、独りで闘病していたのです。
私は、自分自身が乳がんであると分かったとき、兄と同じ病気であることに因縁の深さを知りました。同時に兄のつらさ、苦しさがようやく理解でき、本当の意味で寄り添って祈る気持ちになれたのです。
その兄が昨年12月19日、何十年ぶりかで聖堂の先生にご指導を頂き、御霊台帳をみていただきましたところ、母が亡くなって実家の御霊台帳を書き替える際、祥月命日が記入漏れだったことが分かりました。また本教に導いてくれた父方の伯父が誰の御霊台帳にも載っていなかったことを悔い、兄が自分の家族として追記しました。
その後、私はなぜか小さい頃にお世話になった実母方の叔父のことが気になり、親戚に連絡してみますと、なんと12月14日に急死していたことが分かったのです。叔父は肺気腫で苦しんだ末、救急搬送されて孤独のうちに亡くなったとのことでした。兄が昨年の12月、何十年ぶりかで先生のご指導を頂いた5日前のことでした。実母方の叔父のため私は御霊台帳には載せませんが、兄はこの叔父をご指導により御霊台帳に追記し、2月の御霊祭で心からのご供養をささげました。
肺の転移がんが消えた!
それから10日後の3月1日。感謝祭で兄に会うと、話があると言うのです。兄は「実はね、3月6日に肺のCT検査の結果を聞く予定だったんだけど、2月25日に風邪っぽくなったんで担当の医師の所へ行ったら、検査結果が出ていると言うので一緒に見たんだよ。すると医師が、『宇田川さん、肺のがん転移があったよね、がん消えちゃってるよ』って言われたんだ」と話すのです。
そのとき、兄は神様が叔父の御霊を御救いくださったと感じ、神様に心から御礼を申し上げたそうです。
私は「どうしてメールででもいいから知らせてくれなかったの?」と聞くと兄は「直接会って伝えたかったんだよ」と答えました。転移がんが消えたことはもちろんですが、兄のその一言で胸が熱くなって涙があふれました。そして兄妹そろって本部聖堂で、所願成就の御礼をさせていただいた次第です。
「家族愛、そして助縁ですね」この先生の言葉に心から感動し、神様の御救いが現界も霊界もなく、無辺に及ぶことがしみじみと分かりました。
私は今後も支部長のお役目を全うするとともに、このように御灼かな天心大霊神様のご存在を多くの方にお伝えしたいと思っております。